窓から射し込む光が、扉から出てきた人物を照らす。
ふと、苦しくなって、息をするのを忘れていたことに気付く。
目の前に現れたその人は、この世のものとは思えないほど綺麗な、西洋画に描かれた天使よりも崇高な――――そう、まさに神様のようだった。
美しいという言葉の意味を、衝撃とともに理解した。
きらきらと光る淡い金の髪。
白磁の肌。
恐ろしく整った造形。
色素の薄い全てのなかで唯一色を発する、透き通った緑の瞳。
――神津島で聞いた、女神と同じ色だ。
窓から射し込む光が、扉から出てきた人物を照らす。
ふと、苦しくなって、息をするのを忘れていたことに気付く。
目の前に現れたその人は、この世のものとは思えないほど綺麗な、西洋画に描かれた天使よりも崇高な――――そう、まさに神様のようだった。
美しいという言葉の意味を、衝撃とともに理解した。
きらきらと光る淡い金の髪。
白磁の肌。
恐ろしく整った造形。
色素の薄い全てのなかで唯一色を発する、透き通った緑の瞳。
――神津島で聞いた、女神と同じ色だ。
道案内してくれるらしい少年に続いて、森の中の緩やかな坂を歩く。太陽の光が木々に遮られ、少し薄暗く、ひんやりとしている。
甘い匂いは海辺よりも強くなっているようだ。
暫く歩き、森を抜けた。
青い空が広がり、暖かい陽射しが降り注ぐ。
色とりどりの花が咲いていて、甘い匂いはさらに濃度を増した。――まるで植物園の温室のようだ。
少年が歩いていく先には、お伽話に出てきそうな石造りの家が見える。
家の中に入り、さらに進む少年の様子を窺う。
一室の扉の前で立ち止まり、ノックした。
「ミチナガ。ボートが故障して流れ着いたっていう人たちを連れてきた」
少年が告げると、すぐに足音が聞こえて、扉が開いた。
「……!」
声がした方に目を向けると、一人の少年が立っていた――高校生くらいだろうか。
深いアメジストの目、柔らかな白銀の髪。
「……どうやってこの島に入ってきたの?」
日本人離れした容姿の少年が発した、けれど明らかに日本人らしい発音のせいか、非現実的な感覚に陥る。
「えぇっと、エンジンが、ボートが故障して! それで、流されて……」
しどろもどろになりながら、安東が設定通り説明する。
「……ふぅん」
怪しんでいるのか、元来口数が少ないのか、素っ気ない反応だ。
「ここに住んでるの? それとも遊びに来た? 誰か大人は一緒か?」
尋ねると、少年は数秒沈黙した後、ポツリと答えた。
「こっち」
霧の中を進む。
神津島で耳にした情報通り、霧がよく発生するというのは本当らしい。
「これ、方角合ってるんですかね――――あ、」
視界が開けると、少し先に満島が現れた。
島自体が一つの森になっているかのように、青々と生い繁った木々が島を覆っている。一ヶ所入り江がある以外は、絶壁になっているようだ。
吸い寄せられるように、入り江に近づいていく。
ボートから一歩足を踏み出す。
象牙色の砂浜には、ちらほらと星の形をした砂が見える。
「もっと南に行かないと生息していないはずじゃ……?」
「どうしました?」
「いや。ここの砂、採取しておこう」
発見された舟からは、場所を特定できるような付着物は見つからなかった。役に立つかはわからないが、念のためポリ袋に入れる。
「うわぁ、花の香りですかね?」
警戒心なく歩き回る安東に、少し心配になってくる。
息を吸うと、ひどく甘い匂いが鼻腔いっぱいに広がって、肺にまで充満するようだ。
「――――誰?」
「いやぁ、まずいですよ……これはまずいです」
海風を浴びながら、思い詰めた顔の安東が呟く。
太平洋を走る小型ボート。――目的地は満島だ。
島で捜査をしたくても、個人所有である満島は簡単には立ち入れない。島の所有者とは一向に連絡が取れずにいる。今のところ満島が事件と関連していることを指すのは、舟の出発点であろうという推測だけだ。確度は高いはずだが、証拠として弱いのか令状が出ない。
エンジンが故障し遭難、満島に流れ着いた、という体で上陸することにした。無理矢理感は否めないが、捜査を進めるには強行突破するしかない。
「船舶免許を持っているとは、安東も使えるな」
「こんなことのために取ったんじゃないんですけど……」
安東の小さな反抗は、エンジンと波の音に掻き消された。
「ホルマリン……ってあの、前に言っていた――」
「その通りです。安直に考えれば、死後ホルマリンに浸した、となりそうですが……」
ホルマリンに全身を浸されたところを想像したのか、安東は何とも言えない表情になっている。
「防腐のためなら、血管に注入したほうが効率的です。それに、ホルマリン固定は組織を硬化させますが、これも起こっていません。特有の刺激臭がない点も気になりますし……むしろ微かに甘い、良い匂いのように感じます。――何より、揮発したとしても量が不十分です。ですが事実、腐敗はしていません。」
検出されたホルムアルデヒドは、防腐を目的としたものなのか。
そうであれば、死亡時刻を不明瞭にし、捜査を撹乱させるためなのか。
それとも、サイコキラーか。
硬化せず、刺激臭もないのは何故なのか。
不十分な量で防腐の効果のみを得ているのは何故なのか。
新たにわかったことが増えても、その度わからないことが何倍にも増えて、進んでいる気がしない。
――未だ、死因は不明だ。
少しの沈黙の後、伊崎は説明を続けた。
「血中や臓器から、微量ですがアルコールが検出されました。これは当初の検査で判明していましたが、死因に繋がるような数値ではありませんでした。飲酒の形跡もなく、エタノールは死後産生されますから。ただ、死後産生されるエタノールというのは、腐敗によって産生されるものなんです。……ご覧の通り、腐敗はまだ始まってすらいません。それで詳しく調べてみたところ、体内で生成される以上のメタノール、そしてホルムアルデヒドが検出されました。――さらに不可解なのは、皮膚細胞から一番多く検出されたという点です」
「えっと、つまりどういう……?」
理解できていないのは自分だけなのか、という表情で安東がこちらを見てくる。
「――――メタノールはアルコールの一種で、ホルムアルデヒドの原料でもある。ホルムアルデヒドの水溶液がホルマリン」
「丁度こちらに戻っていたところです。すぐ向かいます」
神津島から戻った翌日、伊崎から連絡があった。
「……あのぉ、何か特別な処置をされたんですよね?」
通常とは異なる方法で遺体安置をしていると説明され、安東が遠慮がちに聞く。
「――いえ……解剖後、普段以上に丁寧に戻すようには心掛けましたが、防腐や殺菌等の処置はしていません」
「え、じゃあ――――だって、発見時と何も変わってないじゃないですか……!」
「そうですね。縫合痕がある以外は、全く変わっていません。何もかも」
どこか泣きそうにも聞こえる安東の声に、極めて冷静に伊崎が答えた。
「満島に行ってはいけないよ。あそこは、人間が荒らしてはいけないところだ。もちろん、君たちが荒らそうとしているんじゃないっていうのは、わかっている。でもね、無闇に踏み入って良い場所じゃあない――穏やかで美しい、まさに地上の楽園だ。……年寄りの勝手なお願いだがね、どうかそっとしておいてほしい」
「いやぁ、今回の事件とは関係ないでしょうけど、興味深い情報でしたね」
安東が興奮気味に話しながら隣を歩く。
「……どうやって潜り込むかだな……」
「穏便にいきたいですねぇ」
一度署に戻り、どうにか満島で直接捜査ができないものか、策を練ることにした。
警告のようなお願いをされたものの、聞くわけにはいかなかった。
「それで、その後どうなったんですか?」
安東が前のめりになっている。
「……ひと月ほど経って、怪我もすっかり治った頃、イズナ様に言われたんだ――『元いた場所、いるべき場所に帰りなさい』とね。『ここに長くいてはいけない』とも言われた。そして、『もう二度とこの島を訪れてはいけない』と。……神津島での生活に不満があったわけじゃあない。でも、満島で過ごした時間が、今でも忘れられないくらい幸せだったんだよ。それでも、いつも穏やかだったイズナ様の珍しく強い口調に、従うしかなかった。お顔は悲しげだったもんだから。……それで、小さな舟を用意してもらって、食べる物も持たせてくださってね。――よく晴れた、海の凪いだ日に、島を出たんだ」